
「甲斐、谷陸?」目の前の男子は怪訝な顔をした。「違う。甲斐谷、陸。“たにりく”なんて名前じゃない。」「ご、ごめんなさい。」甲斐谷なんて苗字の人今まで周りにいなかったから、という言い訳を飲み込んだ。珍しい苗字だとしても彼にとっては当たり前の苗字なのだ。とても失礼なことをしてしまったと私が反省をしていると、彼は本を早く寄越せと手を出してきた。「あ、えーと返却期限は来週の木曜日です。」あたふたと本を差し出せば彼はにっと笑った。「どうも。さん。」「ぅえ?」名前を呼ばれたことに驚いてカウンターの席から立ち上がると彼は後ろを指した。後ろを振り向くと黒板にでかでかと木曜日の当番である自分の名前が書かれていた。水曜日の当番こんなに大きく書きやがって、と心の中で呪う。
私が情けない顔で振り返ると甲斐谷くんは小さな声で笑った。「じゃあ木曜日に返しに来るよ。」「あ、あの別に木曜じゃなくても、その、火曜日とかでも大丈夫ですよ。」私の言葉に甲斐谷くんがピタリと足を止める。「いや、木曜日に返しにくる。」私はカウンターの上から身を乗り出した。「いえ、自分の都合の良い時で大丈夫なんですよ。」「いやいや、そうじゃなくて!アンタ、それってわざと?俺こんなにあからさまなのに。」「え?あ!す、すいません!お節介ですよね。あの、好きな時に返しに来てください。」また余計なことをしてしまったと私は冷や汗をかく。「俺が言いたいのはそういうことじゃなくて・・・・って無駄か。」甲斐谷くんは溜め息をついて図書室を出て行った。